徳川家康公御用達 清左衛門の湯

熱海では古来から、7つの源泉が重要な役割を果たして参りました。
当館はそのうちの一つである”清左衛門の湯”の源泉を所有いたしており,これは他施設様に分けることなく,古屋旅館の独占使用となっております。昭和に入り、熱海のあちこちで温泉採掘が行われ、七湯の湧出量も減り続けましたが、『清左衛門の湯』はいまでも豊富な泉質の温泉を供給し続けております。 徳川l家康公が熱海に湯治に参った際にも、きっと熱海七湯に浸かりその疲れを癒したのでしょう。約400年を経た今、同じお湯に浸かる・・・。そんな楽しみ方もあるのかも知れません。

清左衛門の湯 地図

歴史上重要な位置を占めていた七つの源泉には、それぞれに由緒由来があります。源泉地をめぐり湯の町の情緒を楽しんでみてはいかがでしょうか?

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熱海七湯
清左衛門の湯

清左衛門の湯 画像

昔、農民の清左衛門という者が馬を走らせて、この湯壷に落ちたので、その名が付いたといいます。明治までは、昼夜常に湧き出てたえることがありませんでした。人が大きな声で『清左衛門がいない!』と叫ぶと大きく湯が湧き、小さな声で『清左衛門がいない』と叫ぶと小さく湯が湧き出たといわれています。

湯~遊~バス「サンビーチ」バス停下車 徒歩5分(旅館古屋前)

河原の湯

河原の湯 画像

このあたりを東浜といい、遺もなく石のごろごろした河原で、温泉が絶えず豊富に湧き出ていて村人の入浴場でした。湯治客は大湯の源泉が主に使われ、ほかの源泉も限られた家のみが使用するお湯で、熱海村の農民や漁師や近郷の人達が自由に入浴できるのは、この「河原湯」だけでした。寛文6年(1666年)小田原城主稲葉美濃守が、村民のために浴室を設けてその屋根を瓦茸としたため、「瓦湯」と称したとも言われています。この湯は神経痛やリューマチなどに効能があり塩分が多〈、人が入ると透明な湯が白〈濁るほどであったといいます。

湯~遊~バス「サンビーチ」バス停下車 徒歩7分(銀座通りスルガ銀行横)

佐治郎の湯(目の湯)

佐治郎の湯(目の湯) 画像

佐治郎という者の邸内にあったことから「佐治郎の湯」といわれました。また、この源泉は明治のころは上杉助七という者の邸内にあり、のち新かど旅館の所有になったので「新かどの湯」ともいわれました。この湯は火傷にも良いが眼病にもよく効くといわれ、別名を「目の湯」ともいいました。

湯~遊~バス「サンビーチ」バス停下車 徒歩7分(銀座通りスルガ銀行横)

大湯

大湯 画像

古来からの間歇泉で世界でも有名な自噴泉でありました。「大湯」の噴出は昼夜6回で、湯と蒸気を交互に激しい勢いで噴出し、地面が揺れるようであったといいます。明治中ごろから次第に減少し末ごろには止まってしまいましたが、関東大震災のとき再び噴出しました。しかし、その後も噴出回数は減少しつづけ、昭和のはじめついに止ってしまいました。昭和37年に人工的に噴出する間歇泉として整備され、市の文化財として保存し現在に至っています。

湯~遊~パス「大湯間歌泉」バス停下車 徒歩3分(ニューフジヤホテルアネックス)

小沢の湯(平左衛門の湯)

小沢の湯(平左衛門の湯) 画像

沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯を「平左衛門の湯」と称していました。また、土地の人は小沢にあったので「小沢の湯」とも称しました。「清左衛門の湯」と同様、人が大きな声で呼ぺば大いに湧き、小さな声で呼ぺば小さく湧き出たといわれています。

湯~遊~パス「大湯間歌泉」バス停下車 徒歩3分(日本たばこ産業熱海営業所横)

野中の湯

野中の湯 画像

野中山のふもとの、このあたりを野中といいます。この辺一帯は、泥の中に湯がプクプク噴いて、杖で突くと湧き出したといわれています。また、このあたりの土は丹(赤色の土)のようで、壁を塗る材料にしました。江戸時代までは、この「野中の湯」は湧き出るところが浅かったので、あまり入浴には利用されなかったようで、そのため、湯をためる湯枡を設けなかったといわれています。

湯~遊~パス「咲見町」バス停下車 徒歩7分(中銀ライフケア咲見入口横)

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