創業1806年、熱海の歴史を重ねる数奇屋造りの老舗宿。

熱海温泉 古屋旅館

ご質問・ご予約はTEL.0557-81-0001(8:00~20:00)

伝統・歴史

創業1806年の歴史と文化 熱海古屋旅館の歴史

古屋ギャラリー

開業200年の歴史ある数々の品。日本で一番古いラジオ、写楽の版画、東郷平八郎ゆかりの品、川島芳子の書など。古屋旅館では、古き良き時代の遺産を展示しております。

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《御汲湯図》
熱海のお湯は徳川将軍家に献上されておりました。

熱海よいとこ 日の丸たてて 御本殿へとお湯がいく


古屋の歴史

歴史背景を知れば驚きがいっぱいです。
古屋旅館には、数々の歴史が残されています。
悠久の歴史に想いを馳せるひとときとをお楽しみください。

古屋の玄関で皆様をお迎えいたします門は、黒澤明監督の映画『影武者』で使用されたもので、古屋旅館のシンボルとなっております。

古屋旅館を200年にわたり守ってまいりました内田家の先祖が武田系列の武士であったとの言い伝えもあり、門上部の武田菱は、武士の心意気の如く、お客さまを精神誠意もてなす私どもの気持ちの表れでございます。
武田門をくぐりますと、大蛇のような格好をした大変珍しい松がございます。大蛇が地を這う形でうねっており、大木ではございませんが大変な年を経ているものでございます。
 その昔、天満宮をまもる大きな大蛇がおりました。宝暦の年間にその大蛇が神社に入るところを見たとか。それがいつしかこの松に化身して天満宮をお守りしているとの言い伝えがございます。

大正時代、大層なお金持ちが、お金はいくらでも出すから自分の屋敷に是非譲ってほしいと請願された逸話も残っております。
古屋は、熱海七湯のひとつである『清左衛門の湯』源泉を所有いたしております。
 その昔、清左衛門という百姓が馬を走らせていて、この湯壷におちたことからその名がございます。ここのお湯は魔法のように、大きな声で『清左衛門がいない!』と叫ぶと大きく湯が湧いたそうです。

 古屋旅館のお風呂は殿方用・ご婦人用ともに、この源泉から湧き出た温泉を、循環せずに使用しております。湯上りのポカポカ感が全く違うことに気づいていただけるものと自負しております。
熱海郵便局は当初、古屋の敷地内にて開設されました。
現在郵便局は市中に移っておりますが、古屋の歴史を語るひとつでございます。
徳富蘇峰
頼山陽の再来といわれ、明治―大正―昭和の大文豪といわれた徳富蘇峰先生は熱海を愛し、明治初期より20年間にわたり毎年3~4ヶ月の間古屋にご滞在されました。これはその徳富先生の記念碑でございます。(蘇峰先生の書は一部の宴会場や御部屋でもご覧になれます)
《徳富蘇峰について》
徳富蘇峰先生は明治十九年、二十四歳で文章報国の志を立て『将来之日本』を著わしましたが、これがベストセラーとなり、一躍文名をあげられました。ついで明治二十年、わが国最初の総合雑誌「国民の友」を発行、世界の新しい政治・経済・法律・思想・文学等を率先紹介し、明治の憲法と平民主義の普及、実現に貢献されました。明治二十三年には国民新聞社を創立し、社長兼主筆として世論をリードされ、さらに毎日新聞社に社賓として迎えられて筆陣を張り、明治・大正・昭和の三代に亘って、先覚ジャーナリストとして活躍されました。

 先生は新聞記者であると同時に、偉大な史家であり、政治評論家であり文学の開発にもあずかって力がありました。五十六歳から、九十歳に至る三十五年間、大河の流れるように書き続けられた『近世日本国民史』は全百巻五万頁を越え、個人の修史としては、東西古今に比類をみないものであります。
古屋旅館に大変珍しいお墓があります。京都東光寺の僧であった『善祐』のお墓です。

《善祐について》  平安時代には流刑にも幾つかの段階があり、伊豆や四国はもっとも重い「遠流の地」と定められていました。つまり都から一番離れた遠隔地と考えられていた訳です。  『続日本紀』によると、平安時代・寛平8年(896年)に京都東光寺の僧・善祐が密通の罪で阿多美郷(今の熱海)に遠流となった記録があります。
密通の相手は清和天皇の女御で、狂気の帝・陽成天皇の生母藤原高子(下記参照)でした。

※ちなみに歴史文献上、『続日本紀』は熱海(当時は”阿多美”と表記)の名前が出現する最古の文献です。

 善祐は熱海市和田浜の辺りに住み、松を植え枝を都の方角に曲げて京都を偲んだそうです。その後和田浜にあった善祐のお墓は古屋旅館敷地内に移され、現在に至っております。平安の時代にまで遡って、思いを巡らせてみるのも楽しいものですね。

《藤原高子》ふじわらのたかこ (鐘承和九~延喜十(842-910) 通称:二条の后)
 仁明朝の名臣と慕われた権中納言長良(ながら)の長女。貞観八年(866)、二十五歳の時、九歳年下の皇太子惟仁親王(清和天王)の女御となり、二年後、第一皇子貞明親王を出産。貞明親王は、貞観十一年、二歳で立太子し、元慶元年(877)、即位(陽成天皇)。これに伴い高子は皇太夫人となり、清和上皇・実兄の摂政基経と共に幼帝を輔佐した。しかし清和上皇の崩御後は基経と対立し、陽成は退位に追い込まれた。光孝天皇が即位し、高子は皇太后となるが、この頃内裏を離れて二条院に移った。

 寛平八年(896)、自ら建立した東光寺の座主善祐との密通を理由に皇太后を廃されるが、死後の天慶六年(943)、号を復された。清和天皇が東宮であった頃、在原業平・文屋康秀・素性法師などを召して歌を詠ませている。「伊勢物語」によって流布された業平との恋愛譚は名高い。

古屋天満宮

古屋天満宮 重要文化財等への指定依頼がありました。
古屋旅館は『夫婦円満の旅館』と言われる所以を少しご紹介します。
古屋天満宮で夫婦ご円満をお参りしてみませんか?

菅原道真公由来
古屋旅館の敷地内には天満宮があります。 天満宮は、延喜元年(西暦901年)のむかしに菅原道真(平安時代中期の学者・政治家で今でも学問の神様として尊敬されている)が九州の大宰府へ流されたとき、自分の姿を彫った木像を7つ作って海に流したということです。

そのうちの一つが長い年月を経て、熱海の海岸に打ち寄せられ漁師が拾い上げて祀ったものが、この天満宮のご神体だといわれています。このご神体は、背丈が63センチメートルで、膝や背中に貝殻が付いているということです。
(写真でも確認することができます。)


夫婦大黒像
伊豆山神社は、鎌倉時代以前より、伊豆・相模を始め周辺に権威を誇り、伊豆山権現と呼ばれていました。また、源頼朝が伊豆に配流され伊東祐親に追われていたとき、一時、身をひそめた所であり、恋人政子とのお忍び逢いの場でもありました。

源頼朝が建久3年(1192)、源氏再興の旗揚げの際、伊豆山権現に祈願したと伝えられています。頼朝が鎌倉幕府を開いた後、関八州の総鎮守として隆盛を極めました。頼朝の歴史は熱海から始まるのです。
中世の後期、室町・戦国期に入っても、室町幕府・鎌倉府・後北条氏の保護により伊豆山権現は諸堂の大規模な造営を行うなど隆盛を維持しましたが、その地位は相対的に低下してきます。そして、熱海の歴史を彩る温泉や網代の漁業など、伊豆山権現一色から離れた熱海の多彩な歴史が幕を上げます。

頼朝に始まり歴史的にも大変重要な社であった伊豆山権現の中心的ご神体である、伊豆山権現像(般若院蔵・像高48.8センチ・国指定重要文化財)は明治元年の廃仏毀釈によって、表面上は一旦廃却されました。そして、この伊豆山権現像の真横に置かれていたのが、当館が保管する『夫婦大黒像』なのです。はっきりとした歴史的経緯や銘などは定かではありませんが、源頼朝と北条政子の出会いの場であったという伊豆山権現の背景を考慮しますと、頼朝自身が奉納した可能性もあり大変興味深いものであります。高名な彫刻家であります高村光雲先生からは、鎌倉時代の大変貴重な珍像であり、大切に保管すべしとの所見を頂いております。

当館が夫婦円満の旅館と言われる所以はここにございます。最近は、夫婦お二人のご旅行というのも増えて参りました。デフレを反映してビジネスマンの方々の実質労働時間も増えてきております。ご夫婦のコミュニケーション時間も減る一方のこの時代、温泉にゆっくり浸かっていただき、お話に花を咲かせ、古屋天満宮で夫婦ご円満をお参りしてみませんか?頼朝さんと政子さんが、きっと円満に導いてくれると思います。
『この夫婦神は元伊豆山権現の宝物なるも、後同所般若院に安置ありしを明治初年3代前の内田氏が請願し家宝として今に伝ふ。この大黒天の夫婦神は、南都春日神社若宮の境内に祀りある外見聞せず。妃は長寿繁栄を守り子無き者に子を授け、福徳円満霊徳を祈る神なり。時代は鎌倉初期の佳作にして稀の珍像なり。御大切に保存被成度候也。』
                                  従三位 高村光雲誌

芸者遊び

日本の伝統文化を披露するプロフェッショナル。
宴を彩る、日本の伝統芸能。
美しいな踊りや、芸者さんたちとの会話をお楽しみいただけます。
華やかで粋なひとときを存分にご堪能ください。

日本の伝統文化・芸者さんについて

芸者さんとは、踊りや三味線などの日本の伝統芸能で宴を盛り上げるプロフェッショナルなエンターティナーです。コンパニオンと違い殆どの芸者がこれを生業としており、アルバイト感覚ではありません。一人前になるには当然厳しいお稽古もあります。

日本の伝統文化・芸者さんについて
芸者さんにはいろいろな呼び方があります。関東では『芸妓』『芸者』などと呼び、関西では『芸子』と呼びます。修行中の芸者は『半玉(はんぎょく)』と呼ばれますが、京都ではこれを『舞妓』と呼ぶわけです。

芸者が出入りする界隈は『花街(はなまち)』と言われます。そして芸者さんの世界は『花柳界(かりゅうかい)』と呼ばれ、これは柳緑花紅からあでやかな世界を意味しています。同じ艶やかさでも、『花魁(おいらん)』は公許の下であった吉原の遊郭にいた高級娼婦のことで、芸者とは異なります。

熱海と芸者の歴史

熱海は全国でも屈指の芸者街です。ほとんどの芸者さんは派遣業社に相当する『置屋(おきや)』と呼ばれるエージェントに属しています。現在熱海には少なくとも100を超える『置屋(おきや)』が存在し、300名余りの芸者さんが活躍しています。全国に2800人と言われる芸者さんの約1割強が熱海にいるわけですから、文字通り熱海は『日本一の芸者街』と言っても過言ではないでしょう。
最近熱海市では、芸者さんを熱海を代表する文化であると捉え、積極的にアピールをしております。平成10年6月より、『芸妓見番ぶらり』と称して見番(置屋の組合のことです)が公開されることになりました。土曜日などは常に満員の盛況ぶりです。熱海の伝統芸能を身近に目の前で見ることができます。芸者さんの踊りを見た後は、芸者さんとお話をしたり、記念写真を撮ったり、人力車も用意されているので、思い出に残る経験になることでしょう。

会場 芸妓見番歌舞練場(熱海市中央町17-13)
電話 0557-81-3575
時間 毎週土曜日・日曜日開始 午前11時より
料金 大人1,300円
距離 古屋旅館から歩いて7分ほどです。

日本の伝統文化・芸者さんについて

ご自分のお座敷に芸者さんを呼ぶというのは、いつの時代でも“粋な遊び”のひとつです。最近では、ご家族の旅行に芸者さんを呼ぶ方も増えております。おいしいお食事を頂きながら、芸者さんとの会話を楽しむなんて、明治大正時代の富豪さんみたいに “粋”ですね。

芸者さんを旅館に呼ぶためには、以下の手順が必要となります。


  1. 旅館へ宿泊の予約をする。(予約が完了し ていることが前提です)
  2. 旅館へ直接電話を入れ、芸者を呼びたい旨を伝える。ここで呼びたい人数、時間、希望の芸者の向き(若い子、踊りの出来る子、落ち着いた子など)を旅館に伝えます。
  3. 旅館は、置屋へ電話を入れ、派遣の要請をします。

以上です。とっても簡単ですね。人気のある芸者さんは1ヶ月以上前から予約が入っています。お早めに旅館にご連絡くだされば、それだけ質の高い芸者さんを呼べる確率が高くなります。

玉代について

玉代(ぎょくだい)とは、芸者さんに対してお客様が支払うご料金のことを言います。花代(はなだい)とも言います。といっても、直接芸者さんに支払う必要はありません。旅館の明細に組み込まれて、ご宿泊代などと一緒のご請求となります。お金を用意して待っている必要はございませんよ。花代は、旅館によって異なりますので、ご注意ください。

古屋旅館の花代 芸者1名2時間の一座敷  23,100円(税込)

ご延長1名30分につき  5,000円(税別)

一本って何?

芸者さんの世界では、時間を『本(ほん)』で数えます。『1本(いっぽん)』とは30分のことを指します。『一座敷(ひとざしき)』は2時間ですので、本数にすると『4本(よんほん)』となります。よってご延長は30分単位になるわけです。『6本』といえば3時間のことです。もう、おわかりですね。

お客様へ

当館では、特に厳選した芸者さんを呼ぶ努力をしております。数十の『置屋』に強いネットワークを持ち、お客様のご要望になるべく沿うような芸者さんを手配することができます。お気軽にご相談くださいませ。

芸者さんの手配はTEL0557-81-0001

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お客様から頂いたよくあるご質問

安心・安全

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当館建物(本館及び新館)の構造は、共に鉄筋コンクリート造りとなっており、静岡県の定める耐震基準を、平成21年度検査によりクリアーしております。 古屋旅館